アクトレイザー

解説

プレイヤーは神となり、人類のために魔物を倒していく。アクション面とシミュレーション面を交互にプレイする異色のゲーム。

レビュー

 プレイヤーが「神」というのもすごいが、アクションとシミュレーションを交互にやらせるというのもすごい。アクションとシミュレーションが融合しているのではなく、別々に存在しているのだ。ふたつはまったくの別物なのである。しかし、もっとも驚くのは、別物のふたつが見事ひとつになっているということだろう。なんの違和感も感じないのだ。

 アクションはまあまあという所。いい意味で古くさいアクションで、アクションはジャンプ、移動、しゃがみ、斬る、ぐらいしかない。レバー上と斬るボタンで「上斬り」とか、ジャンプ中にレバー下と斬るボタンで「下突き」とか、今のアクションなら入っているであろうアクションもない。敵の攻撃パターンを解析しながら、淡々と進んでいくという感じだ。

 シミュレーションは単調なわりにハマる。手下の天使を操作して魔物を倒しながら、人を導いていくのだ。イベントがなかなかふるっていて、火事を雨雲を使って消してやったりする。神の奇跡を見せてやるわけだ。天使のコメントもナイスで「自分で火事を起こしたくせに、消すのは神頼みなんて人間は勝手ですね」などと言ったりする。残念なのは、イベントが1ステージにひとつぐらいしかないことだ。

 変わったゲームシステムと世界観のせいで一般受けはしなかったが、一部の人間には支持された。ここを見てくれているような人は、支持した側だったんじゃないだろうか。遊んだことがない人はぜひ遊んでみてほしい。

 信長の野望Online

解説

コーエーの純和風MMORPG。「信長の野望」だが、織田信長になることはできない。

レビュー

 レゲーのレビューをやっているせいでレゲーばっかりやっていると思われがちだが、ちゃんと最近のゲームもやっている。ここ2年半ぐらいずっと遊んでいたのがこの「信On」だ。先日、課金を停止して引退したので、レビューを書いてみようと思う。

 始めたきっかけは、知人の推薦だ。ちょうどBB PACKつきのPS2を買った直後で、せっかくなら何かネットワークを使うゲームを遊んでみようと思ったわけだ。信長シリーズはファミコン版をちょっとさわったぐらいで、これといった思い入れはない。だが、ゲーム好きの知人が勧めるならということで、やってみることにしたのだ。

 ネットワークゲームをやるのはPCの「ディアブロ」以来、しかも大規模MMOは初めてだったので、とても期待してプレイした。信Onはその期待に見事応えてくれたと思う。ゲームのデキそのものはまあまあよくできていた。だが、運営がひどすぎた。韓国系メーカーの運営に比べればずっとマシという声も聞くが、下を見てもしょうがないだろ。日本の大手メーカーとは思えない運営だった。

 「通信がゲームの世界を変える!」なんて騒がれていた頃、通信の魅力がいくつも語られた。皆さんは通信のどこに魅力を感じただろうか? 遠く離れた見知らぬ人と対戦できること? それともスコアを競い合えること? いろいろあるだろうが、オレが一番魅力に感じたのは「通信を通じて、新たなアイテムやイベント、キャラクターを追加できる」という点だ。当然、信Onにもそれを期待したんだけどねぇ…。

 中でもグラフィックは特にひどかった。後から新グラフィックが追加されることはほとんどなかったのである。いや、グラフィックの修正をすることすらしなかったのだ。琵琶湖のほとりに「大ナマズ」という敵がいるだが、見た目はまんまヘビだった。オレは「とりあえずこれでリリースして、後からちゃんとナマズに直すのだろう」と思っていた。だが、実際は今もヘビのままである。ちょろっとモデリングして、メンテの時にそっと修正する、ということすらやらなかったのである。ちなみに水蛇も大ナマズも、足なし大百足も色が違うだけで基本は全部いっしょである。やる気あるのか? コーエー

 もちろん、追加要素がまったくなかった訳ではない。発売から一年半が経った頃、「飛龍の章」という追加パックが発表された。レベル上限が50から60になる、新ダンジョンの追加、新装備の追加、新技能(FFでいうアビリティみたいなもの)の追加、そして屋敷機能の実装である。価格は1500円。できればタダでリリースして欲しいが、これだけの内容で1500円ならまあ納得できる範囲だ。発表からリリースまでの間、仲間たちと飛龍への期待で大いに盛り上がったものだ。だが、ある日とんでもない事実が発覚する。飛龍の内容が書かれたコーエーのHPに「飛龍の章の内容は12月(課金日)から順次リリースされます」といった内容の一文が、小さく、ほんとに小さく追加されたのだ。つまり、お金は先に取るけれど追加されるのは一部だけ、残りは少しずつリリースしていく。ということである。もし、お金を払った次の日にゲームをやめると、お金は払ったのに飛龍の内容の一部しか遊べないということになるのだ! 1500円のうちの500円分ぐらいしか遊べないわけである。「やめなきゃいいんじゃないの?」と思うかもしれない。だが、コーエーはとんでもないワナを用意していたのだ。

 課金スタートと同時に実装された内容に「新技能」があった。新技能を覚えるには「技能の書 (もう忘れちゃったので名前は違う)」が必要で、技能の書を作るには5枚の「用紙」が必要なのだ。で、1枚の用紙を作るのに最低で5つの「用紙の素」が必要なのである。用紙の素は世界のあちこちにあるダンジョンの敵がドロップする。つまり、新技能を覚えたかったら、ダンジョンの敵を片っ端から倒して、用紙の素を25個あつめないといけないわけだ。これがとんでもないワナだった。

 用紙の素は数種類あり、ダンジョンによって出るものが違うので、ダンジョン巡りをしないといけなくなった。中にはとんでもなく遠いダンジョンもあったのである。そして、そのダンジョンは「用紙の素」目当てのプレイヤーであふれていた。敵が沸くのを待たなければいけなかったほどである。さらに「用紙の素」のドロップ率はとても悪かった。やっとの思いでダンジョンまでやってきて、他のパーティーと敵を奪い合いあってまで敵を倒したのに、たったひとつの素すら手にできずに街に戻ることもしばしばだった。

 普通に仕事をしている人がネットゲーで遊べるのは週に3日がいい所だろう。もちろん、毎日遊ぶことも不可能ではないが、間違いなく仕事に支障をきたす。オレの知人のサラリーマンは飛龍がリリースされてから2週間もたつのに、素を2個しかゲットできなかった。必要な数は25個…。こうして、多くの知人がやめていった。飛龍1500円のうちの500円分も楽しむことなく。

 このリリース方式と新技能習得方法は不評で、ネットでかなり叩かれた。それにも関わらず、信Onのプロデューサーである松原健二氏は雑誌のインタビューで「新技能の習得はとても好評で、ダンジョンはプレイヤーの熱気であふれています」などと答えていた。確かにダンジョンにはプレイヤーがいっぱいいるが、それはダンジョンが楽しいから行っているのではなく、「素」が欲しいからイヤイヤ行っているのだ。このコメントはあくまで雑誌用の建前で言っていると思っていた。昨年の秋に非公式なイベントで松原氏とお話をする機会があったのだけれど、どうやら本気でそう思っているようだった。マヌケというか、世間知らずというか……。

 コーエーのネットゲーはもう二度とやらないと思う。少なくともマツがプロデューサーをやっているうちは。最近、「ネットゲームはゲーム界の救世主にあらず」みたいな論調を見かけるが、大手メーカーがこんな有様では、それも仕方ないだろう。

 まあ、こんな感じで文句はたくさんあるのだが、なんのかんので2年半も遊んだ。一生忘れられないゲームのうちのひとつであることは間違いない。

 遅くなりましたがあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 ファミコン探偵倶楽部 消えた後継者

解説

ディスクシステムの名作アドベンチャー。ある事件を追っていた少年探偵が、何者かに襲われて記憶を失ってしまった。記憶を取り戻すため、再び同じ事件を追っていくというストーリー。前編と後編のディスク2枚組。

レビュー

 やっと神宮寺三郎の最新作「KIND OF BLUE」をプレーした。それがきっかけで、アドベンチャーブームがやってきたのだ(オレの中限定だが)。で、「KIND OF BLUE」の後、真っ先にプレイしたのがこのファミ探である。

 X-BOX360なんていう化け物みたいなハードが出た今でも、ファミ探は面白い。久しぶりにプレイしてみて、本当に丁寧に作ってあるのがよくわかる。プレイヤーと開発者の間で、テンポよく対話が繰り返されているような奇妙な錯覚を受けるほど気持ちよく進む。できの悪いアドベンチャーだとこうはいかず、イライラしてコマンドを片っ端から試していくことになる。それはもうただの作業だ。

 ファミ探など任天堂の名作は、そのよさを雑誌などで伝えるのはとても難しい。ゲームバランス、というかゲームの「手触り感」を伝えることはムリなのだ。でも、本当にいいゲームはこの「手触り感」をすごく大事にしているのがわかる。昔のドラクエがそうだったし、任天堂のゲームの多くもそうだ。お金と時間をかけて丁寧に作られている。作っている人たちが、ゲームをものすごく大切に扱っているのが伝わってくる。

 ではセガはどうかというと、悲しいくらい「手触り感」には無頓着だ。いや、アーケードのゲームはしっかりとした手触り感があるのだが、家庭用になるとなぜか消えうせてしまうのである。昔のセガには「一流の開発はアーケードをやる。家庭用はアーケードの開発に入れなかったやつがやる。家庭用のやつらは黙ってオレたちアーケード班が作ったものを移植していればいい」といった風潮があったのでないか。家庭用を作っていた人たちは、自分の作品に愛を感じることもなく作っていたような気がする。まあ、もちろん会社の事情もあっただろう。任天堂ほど儲けていれば、1本のソフトに時間とお金をかけることもできたはずだが、セガはそうはいかない。悲しいことである。

 もちろんセガの家庭用にも愛を感じるソフトはある。「何で今どきこんなゴリゴリのハードなゲームを出すの?」と苦笑いしてしまいそうな、いかにもセガなソフトがそうだ。方向は間違っているかもしれないけれど、愛はある。

 ついでに書いておくと、ニンテンドーDSの「きみのためなら死ねる」の続編が出ると聞いてびっくりした。あ、ここから先はただのグチなので、イヤな人は読み飛ばしてください。セガはあのゲームが本当に面白いと思っているのか? ぼちぼち売れたのかもしれないが、それはニンテンドーDS用のソフトが少なかったからやむを得ず買ったとは思わないのか? 何度も書いているが、駄作を連発して業界そのものをつぶしてしまったアタリというメーカーを知らないのか? 本当に不思議でたまらない。ニンテンドーDSと「きみしね」シリーズを買った一般人はどう思うだろう。「操作方法は変わっているけど、ゲーム自体はなんかフツー。というかすごく面白いわけではないね」となるはず。それは「きみしね」の評価ではなく、ニンテンドーDSの評価となるのだ。ニンテンドーDS=「操作方法は変わっているけど、すごく面白いわけではない」、になるのだ。この人がニンテンドーDSのソフトをまた買うだろうか? そして友達にニンテンドーDSを薦めるだろうか? 目先の利益にとらわれて、業界全体を考えられないというのは致命的だと思うのだが。

 そういえばセガのハードはいつもビジョンがなかったなぁ。任天堂ニンテンドー64を出した時は「年10作主義」を掲げていたし、ソニーはビジュアルにこだわった。マイクロソフトは通信を軸にした。NECは大容量とアニメだった。間違っていたかもしれないが、ハードメーカーとしてのビジョンはあったのである。それなのにねぇ。

 ファミ探のエンディングを見たら、プロデューサーかディレクターの所に「横井軍平」さんの名前があった。有名な話なのかもしれないが、今回プレイして初めて知った。もうファミ探みたいなゲームは出ないかもしれないと思うと、とても悲しい。

 World Class Leader Board

解説

海外モノのゴルフゲーム。コースがCG(ポリゴン)で表現されている。

レビュー

 ポリゴンといっても、そこはマーク3。みんゴルのようなものを期待してはいけない。テクスチャなんてものは存在せず、コースは「ただの板」で描写されるのだ。昔、テンゲンが出した「ハードドライビン」のもっとしょぼいグラフィックと思えば正解である。しかし、プレイ感覚はなかなかいい。ボールの動きに不自然さがなく、プレイしていて気持ちがいいのだ。少なくともバトルゴルファー唯よりははるかにいい。プレイ感覚だけならみんごるにも負けない……んじゃないかと思う。動きがもっさりしている点は愛嬌ということで。

 「テクノジー」という言葉に妙なあこがれを抱くオレのようなおっさんゲーマーは、コースの描写方法になんともそそられるはずだ。まず、コースの外側を線が囲み、次にその中を塗りつぶしていく。昔のパソコンがCGを描く時の、あの描写方法なのだ。とてもノスタルジーである。子供の頃、親に連れられて行った東京科学博物館なんかを思い出す。あの頃、テクノジーによって彩られた未来は、とてもすばらしいに違いないと思っていた。実際、その未来がきた今、とてもすばらしいかどうかはとても微妙なのだが……。。

 消えたプリンセス

解説

タイトル通り、消えたプリンセスを探し出すアドベンチャー。カセットテープや手帳が付属していた。しかもカセットテープには富田靖子の歌が入っている。

レビュー

 残念ながら、カセットテープも手帳も持っていない。これらがないと本当にただのクソゲーである。ゲームが始まると、何の脈略もなく横スクロールのアクションが始まる。ネズミをよけながらお金を回収し、クリア地点までくると、横スクロールから見下ろし型のフィールド画面へと一気に変わる。そこに説明は一切ない。いきなりフィールド画面になって、プリンセス探しへと放り出されるのだ。唐突すぎて脈略がなさすぎて、まったく理解できないのだ。ディスクが壊れているのかと思ったほどである。ゲームを始めて2分でクソゲーの香りを思う存分堪能できるだろう。

 フィールド画面では、住民に話を聞いてプリンセスを捜さないといけない。だが、住民が無駄にたくさんいるのだ。そのうちのほとんどはいらない情報で、おもしろくも何ともないメッセージである。まるで何かの修行をやっている気分だ。プレイヤーが選択できる主なコマンドは「はなす」と「タイホ」のふたつ。住民をタイホしようとすると「そんなひどい」と言われて、タイホできない。タイホできないからといってガッカリしてはいけない。タイホのかわりに銃で撃ち殺すことができるからだ。しかも「そんなひどい」などという言葉をはく間もなく、射殺できるのだ。う〜ん、いったい何をさせたいゲームなのだろう。

 ちなみに富田靖子も「消えて」しまったのは偶然なのだろうか。

 エスパードリーム

解説

近未来っぽい雰囲気のアクションRPG。

レビュー

 コナミディスクシステムプチ名作のひとつだ。フィールド画面で敵とエンカウントすると、画面が切り替わって戦闘画面となる。このフィールド画面の描写が斬新で、敵の足跡が表示されているのである。避けることも積極的に戦うこともできる、というのは当時はとても斬新だった。また敵が足跡で描写されるので、戦闘に入るまでどんな敵かわからず、とてもドキドキしたものである。

 主人公の武器はいかにも近未来っぽく剣ではなくて銃なのだが、ナナメに撃てないというのはいかがなものか。ナナメに弾を撃つのは技術的に難しいのだろうか、それとも「そもそもナナメに撃つという発想がなかった」のだろうか。あるいはゲーム性のためにあえてそうしたのか。コナミの技術力をもってすれば、ナナメに撃つことぐらい簡単な気がするのだが……。

 新人類

解説

縦スクロールのシューティングゲーム。イメージキャラクターは長州力

レビュー

 アーケードの香りがまったくしない、いかにもファミコンという感じのシューティングゲームだ。アイテムで段階的にパワーアップができ、最大限までパワーアップするとキャラクターが長州力になる。「はあ? 何で長州力?」と思うかもしれない。だが、間違いなく長州力である。長州力は自分の分身を前方にバラバラと発射して敵を倒すのだ(リキラリアットであるらしい)。なんだかとりとめのない文章だが、ゲームがそうなんだから仕方がない。新人類・長州力・前方にバラバラ、こんなゲームなのである。

 たぶん、このゲームが出た当時は「新人類」が流行語だったのだろう。でも長州って新人類だったのだろうか? 「維新」とか「革命」というキーワードは当てはまるが、「新人類」は長州と関係があったのか、残念ながら思い出せない。たぶん、何も関係ないと思う。「新人類」と「長州力」が流行っているから使ってしまえ! そんな理由で採用されたのだろう。

 ゲーム自体はまあまあ。地面に生えている草を撃つとパワーアップアイテムにかわるのだが、とても驚くのはそのパワーアップアイテムに弾が当たると、弾が消えてしまうということだ。アイテムをさっさと回収しないと、攻撃の邪魔で仕方がない。これはかなり違和感があって、とても驚いた。当時はそれほど変だと思わなかったんだけど……。

 ちなみに取り説に長州の顔写真が載っているのだが、これが長州小力そっくりでかなり笑える。(写真を撮って載せるのが面倒なので、googleのイメージ検索で「ファミコン 新人類」で)